Surface Pro 3とMacbook Airは別物。
Surface Pro 2が買えなかった騒動からまだ間もないですが、早くもSurface Pro 3が発表されました。
発表会では完全にMacbook Airを意識していましたが、結論から言うと、iPadならまだしも、Airじゃモノが違いすぎるので、比べるのは少しナンセンスな感じがしました。Officeしか使わないユーザーや、メール&ブラウジングが主体のユーザーならどっちを使っても支障はないのかもわかりませんが、デザインを主とするユーザーがWindowsを使うことはまずありません。軽かろうが小さかろうがそれ以前の問題だったりします。
そのマイクロソフトの発表会ですが、報道関係者のMacbook率の高さは当てつけなのか皮肉なのか(笑)。結構大人の事情が絡んでそうです。
- [参考] Surface Pro 3 vs. 13-inch MacBook Air: Battle of the featherweights
どうしてデザインはMacなのかという点に関しては、細かなUIは置いておいて、書体の影響も大きいですね。OS9時代に標準だったOSAKA書体、バンドルされていたモリサワ書体、OSXになって標準になったヒラギノ書体。この辺は今も「美しい日本語書体」のスタンダートです。日本で生活していれば毎日どこかで目にしている書体です。またAppleがオフィシャルで使用しているHelveticaや、広く使われているFuturaなども標準です。このように、Macにはプロユース書体の多くを標準で使用しているので、美しいものを生み出しやすい環境ということも挙げられるでしょう。
また、怖いのは慣れです。
僕は2004〜2007まで(OS10.4まで)は、どうしてもOSXに馴染めなく、OS9が完全に衰退していったため、Windowsを主にせざるを得なかった時期があります。そうすると、Windowsのアンチエイリアスのかかっていない汚い書体や、文字だらけのUIに知らず知らずと慣れていき、違和感がなくなっていったのを感じる瞬間がありました。これは感覚が狂った証拠です。危ない。ちょっと表現がアレですが「ブスは3日で慣れる」的な感覚でしょうか(笑)。
適当な画像がなかったので、Webクリエイターズボックスさまから勝手にお借りしました。上がWindowsで下がMacの表示です。毎日上の文字だけ見ていたら、そりゃ感覚も狂ってきます。
90年代は一般的に肩身が狭かったMacユーザーでしたが、今や立場が完全に逆転しています。Macからの返り咲きユーザーを狙うなら、敵視するよりも、より互換性を高めてMacに近づけた仕様にすべきじゃないかなと思いますね。
僕もSurface Pro 2は買おうと思っていました(「買えなかった騒動」で買うタイミングを逃してしまったんですが)。どっちが良いというのではなく、どっちも役割を持っていますので、自分のスタイルに合わせて選択するのがよろしいと思います。
僕の場合は、弥生会計がWindowsでしか使えないのと、WindowsのWebチェックを行うためにWindowsは必要であり、デザインの質を上げるためにはMacが必要です。用途がメール&ブラウジング程度であれば、どちらを主にしてもOKでしょう。
日本では8月末に発売予定だそうです。2は時期を逃したので、今度は買えるかなと思っています。