私の人生を変えた4つの衝撃。ニフティサーブ、ADSL、iOS、カカオトーク
そう言えばこんな映画がありました。1996年。これ、面白いですよ。
ディテールが当時の日本の通信事情にピッタリ合っていて感情移入がしやすい分、後発の、お金をかけたトム・ハンクスとメグ・ライアンの「You've got a mail」よりも全然良かった印象がありますね。
You've got a mailは2000年。もうすでにITバブルの崩壊直前で、それなりに成熟しきっていて興ざめ感もありました。
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CBシュミレーター @ニフティサーブ
そんな前置き通り、最初の衝撃は1994年。
当時の写真なんて残っていないので、イメージは上の映画「(ハル)」より。
いわゆる「インターネット」が一般的に普及する前、日本ではニフティサーブというネットワークが流行っていました。
私の人生初のメールアドレスは「BYH00616」です。今では当たり前の、メアドの「@ドメイン」なんて概念もなく、それは今も暗記しています。
スタート画面はこんな感じ。
ここの「4」にある「CBシュミレーター」です。
マウスなんて使えないので、キーボードの「4」を押して「リターンキー」を押すと、いろんな部屋があり、そこに入って会話するだけのこと。
そう、リアルタイムチャットです。
自分が打った文章に対して瞬時に返事が来る。「21世紀来た感」がすごかった。当時はデジタル回線がまだなかったので、普通の電話回線。毎月のNTTからの請求額がとんでもないことになっていた。
当時「NTT」はネット用語で「みかか」と言われていた。キーボードの「N」と「T」を見てください。そういうことです。今はローマ字打ちが主流ですが、当時は「カナ打ち勢」、いわゆる「親指シフト勢」が結構いたんですね。
タイピング早打ちはとにかくここで鍛えられた。
それは何もかも自己流で。とにかく追い詰められて鍛えられた感。基本ポジションなんて今も使っていない(笑)。
さらにこの時代は、今のように個人情報的なものもあまり重要視さてれなく、だいたいみんなどこの誰だかを自ら公開していたので、いろんな人と繋がった。それは今にも至る。電話代はハンパなかったけど(笑)、それがペイできるほどの貴重な時間でした。
(^ー^)
当時のメールや会話ログもほとんど保存してあるけど、何しろフロッピーディスクなもんで、もはや確認する術がない。
ADSL回線
次は2000年。PCが壊れると思った。
いやホントに。それほど破壊的なスピードが突然やって来た。スピードの単位が「キロ(Kbps)」から突然「メガ(Mbps)」に変わる(ISDNは引かなかったので、ダイヤルアップからの乗り換え)。
簡単に言うと1000倍。
実質はもっと低いけど、イメージとして、数分かかっていた読み込みが、1秒で終わる。そんな感じ。
これは奇声を上げるほどに驚いた。
それまでは、WEBサイトに掲載する画像などは、できる限り容量を落として、できる限り軽くする作業が絶対不可欠でしたが、これの普及でさほど気にすることがなくなった。
このあたりを機に、それまで夢の話だった「ネットで動画を見る」なんてこともできるようになってきた。
ちなみに現在は光回線で、単位が「ギガ(Gbps)」になってさらに1000倍になっています。
さらにちなみに、この単位は速度なので、読み方は「ギガバイト」ではなく「ギガビット(ギガビットパーセカンド)」です。量販店とかの店員さんが間違えていたらやさしく注意してあげましょう。
iOS
次は、2010年3月。
キャリア的にiPhoneを買うことができなかったため、私の初めてのiOSはiPodTouchです。
正直最初は、Skypeが使える?!もう携帯電話いらなくね?と、毎日産経新聞が無料?!もう紙の新聞いらなくね?!の2点が大義名分だったわけですが、そこに詰まっていたものはまさかの、それを大きく上回る、それ以上の夢の世界だった。
完璧に生活スタイルが代わるほどに。
もっと言う、
ドラえもんのポケットから出てきてもおかしくないクラスのアイテムだった。
この日から「パソコン」と「携帯」という区別がなくなった。PC上の全てのメールアドレスのチェックがいつでもできるようになった。同時に、ezwebとかのキャリア(携帯)メールの必要性がなくなった。
また、これらのキャリアメールは、とんでもないレベルで「鎖国」と「縛り」を行っていることにも気付かされた。
基本的に相手もキャリアメールじゃないと受け付けない。PCメールダメ、海外メールダメ、メールも携帯端末でしか送受信できない(携帯紛失したら終わり)。
この日でキャリアメールをやめた。
上で書いたように、メールのログ(送受信簿)は1994年からそのほぼ全てを保存してあるが、唯一永久保存できなかったのがこのキャリアメール。
また、このiOSはブラウザもPCと同じでブログも書ける。iTunesが入ってる。Dropboxが使える。翻訳してくれる。などなど。
これで、常時PCがポケットに入っている生活が手に入った。
当時のiPhone、「iPhone 4」をどうやったら手に入れられるか本気で考えた。auをやめて、韓国SKYと外国人契約?住民登録番号必要?通話は全部ローミング?はたまた香港からSIMフリー機の購入?
結局2011年の「auから4s発売」までお預けだった。ショップの予約番号1番で手に入れた。
デジタル先進国の韓国では、当時からFree Wifiが飛びまくりだったので、お隣ではTouchでも十分戦えた。
- [関連記事] iPhone4S@au Debut!(2011.10.15)|旧まなぶろぐ。
カカオトーク
次は2010年12月、カカオトークをはじめたとき。
韓国が世界一の先進国に見えた。
リアルタイムで国を超えてメッセージ、写真、動画、声が飛び交う。最も驚いたのは、待機中でもプッシュ(通知)が来るということに、このアプリの衝撃はすごかった。
その後同韓国企業のNAVER(ネイバー)で、今や日本人の9割が使っているLINEが開発される。その便利さはもう語るまでもないでしょう。
LINEは、最初からアジア〜世界に向けて動いたので、そのシェアは先発のカカオトークを簡単に抜いてしまいました。
またSamsungのGALAXYでもわかるように「Made in KOREA」というだけで日本では全く売れないので、NAVER Japanやライブドアが動き(後にLINE株式会社となる)、合法的に「Made in JAPAN」として浸透させた。
- [関連記事] カカオトークはじめました(2010.12.23)|旧まなぶろぐ。
ちなみに、韓国NAVERは当時と比べて株価は約4倍。ああ、2010年に買っていればねぇ〜。
以上私の生活を大きく変えた、4つの衝撃でした。
じゃ、今日は「(ハル)」を見て寝ます。
↓iPodTouchはそろそろ……でしょうか。万が一新型が出たら飛びつきます。